
華光院は大永年間(西暦1521年頃)に、武田信虎公が紀州根来山(現在の和歌山県)よりご本尊「三宝荒神」様を勧請し荒神山(現在の仏舎利塔のある付近といわれている)へ荒神堂を建立したことが始まりであるとされています。
その後、天文10年(1542年)に武田信玄公が、山号・院号・寺号(真如山華光院良林寺)を名付け、現在地に移したとされています。
また、境内中腹に位置するお堂は元々は甲府城内にあったものですが、享保9(1724)年、柳沢吉里公が大和郡山へ国替えの後、享保十七年に毘沙門像・聖徳大師像・弁天像と共に移築したものです。

本尊様をお祀りする宮殿は、享保8年に、やはり甲斐の国国主であった柳沢吉里公が華光院を篤く信仰しており、ご寄進下さったものであると伝えられ、その内容が記された棟札が現在も残っています。