一間四方の方形造(ほうぎょうづくり) と呼ばれる形式の毘沙門堂です。『甲斐国志』には「松平甲斐守ノ所崇信、本卜在城内、得替ノ時当寺二贈レリト云」と記載されており、享保17年(1732)に柳沢吉保が大和郡山へ転封の際、現在地に移築されたものと伝えられています。甲府城に関係した建物の中で、現存する唯一の建物です。大きな特徴のひとつとしてこの毘沙門堂には、正面だけでなく両側面にも扉がつけられていた痕跡が認められるため、三方に扉がつけられていたことがあげられます。そして禅宗様木鼻(ぜんしゅうようきばな)と実肘木(さねひじき)に付けられた渦巻彫刻や若葉彫刻は、18世紀初期の形状で、このことからも建立年代がわかります。(現在は聖徳太子も祀っているため太子堂と呼ばれています。また奥の 祭壇部分は、仏像を祀るため後世に改めて造られた部分です。)
華光院毘沙門堂